1994-11-02 第131回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号
これは、宗教批判もできればイデオロギー批判もできますし、また近代主義の批判も距離を持って見ることができる、批判することができる、こういうような国というのはなかなか世界にはございません。
これは、宗教批判もできればイデオロギー批判もできますし、また近代主義の批判も距離を持って見ることができる、批判することができる、こういうような国というのはなかなか世界にはございません。
西日本新聞社の論説委員で、本名は隈部大蔵さんという方でありますけれども、ペンネームでいろいろ宗教批判をやられていた。一番最初に書いた本は、もう本が刷り上がって、一万部実際に刷り上がったけれども、印刷の過程から、出版の段階から、最後に本が出た段階まであらゆる圧力が加えられている。そして著者自身が検印までしたにもかかわらず、ついに一冊も売られなかった。
これはいま創価学会の宗教批判は要らぬと先生おっしゃったけれども、それは私たち信仰、信条ということをお互いに……(岡本(富)委員「それは答弁要りません」と呼ぶ)そうなんですが、それほどに苦痛だということを申し上げたのです。
これは法律案そのものに要求するのではございませんが、現在のジャーナリストは、新興宗教であれば悪であるといつたふうな一つの印象を国民に植付けるということは、先ほど下村先生が言われたように、私どもは国家機関で以て今後国民大衆に宗教批判力をつける、これが宗教をよりよくするための本質的な問題でありまして、これは一つの営利事業に対する免税に対する特権といつたような言葉で形だけを考えておる、宗教の本質を規定したものではございませんが
いわゆる宗教批判とか、ソビエトにおけるコルホーズの宗教批判及びスラブ人の婦人生活、ソビエトの婦人生活、家族主義、性道徳及び向うのスポーツ、子供のスポーツ及び家庭のしつけ、それから朝日新聞にも日本新聞の実態をつくそういうようなものは投稿しております。向うの收容所生活に関するイデオロギーの流れ、あるいは收容所生活に対する取扱い、それらに関してはまだ投稿しておりません。